日本編 01-05 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

0-1 「イタリアに行きたい!」  

japan0_5.jpg「イタリアに留学したいんだよ」

いつの頃からかボクは、酔っていいきキモチになるとこんな事を言うようになった。実際に留学について何か知識があったわけではなく、そのころは、学生時代にはもったいないくらいの見方しかできなかったイタリアで、もう一度、建築やデザインの勉強ができたらいいな、というあこがれから出ていた言葉だったように思う。

それがある日、友人にポンと背中を押されて留学を決めてしまった。まだ、資金のことや言葉の問題、その時かかえていた手一杯の仕事をどうかたずけるかなど、いろいろ考えるべきことは沢山あったと思うのだが、とにかく行くことだけは「自分会議」で決定してしまったのだ。

そして、決定後最初の日曜日、目が覚めてスグに旅行代理店に駆け込んだ。「海外に行くんだから、ここならなにかわかるだろう」という安易な考えだ。もっとも、すでに2時近くだったので、混み具合はピークを迎えていたが。

「イタリアに留学したいんだけど、どうすりゃいいのかな?」
「は?」

さすがにこんな風には聞かなかったが、ニュアンスは同じだ。イタリアへ留学というのは、特殊なケースとかで、ちょっとエラいらしいおじさんが出てきてくれたのだが、のっけからあきれ顔だ。だって、なんもわからんのやからしょうがなかろーが!(当時、岡山在住)結局、ここで教えてもらった留学の際の必要書類とその手続き場所が、ボクが最初に得た情報だった。

(`96.夏)

「ポンと背中を押されて…」と軽く書きたかったのは、しょっぱなからヘビーな内容にしたくなかったから。
実は留学を決意するいくつかの要素のうちのはじまりは、親友と呼べる友人が事故で亡くなったのがきっかけだった。
働き始めて2年目の春から夏への移り変わりの頃、事務所で受けた訃報を知らせる一本の電話を受けた時のことを、まだ鮮烈に覚えている。

ひと夏中、その出来事が心に重くのしかかって、それを受け入れられた頃、一つの転機が訪れた。

自分だって明日、どうなるかわからない。やりたいことがあるんだったら、やらないで悔やむより、実行してダメでも、まぁいいや、とは思えるんじゃないか…。
それが23歳という若さで、ヤツが残していったメッセージなんじゃないかと思えた。

イタリアに来たことが、そしてそのまま住み続けることになったのが、ボクにとって「正解」だったのかどうかは今だってわからない。
でも少なくとも、一歩踏み出せた十数年前の自分は素直に評価してやろうと思う。

この先続く、新たなる道も、この初心を思い出せたら、きっと頑張れるだろう。

2011年3月 ミラノ

ページの先頭へ

0-2 とにかく情報をあつめる  

japan0_4.jpg次にちょっと大きな本屋にいくとどこにでも置いている、「成功する留学/ダイヤモンド社」の登場である。最初からこれさえ見ておけば、ひと通りのことは書いてあるのだ。し、知らなかった。

このときはまだ、大学の建築学科への進学を考えていた。イタリアで建築家というのは、グラフィックやクラフト、テキスタイルなど、様々なデザインができるデザイナーの頂点のことをいい、皆から尊敬されている。そういった意味でもキャパシティの広い人間になりたかったからだ。この時点で、ボクにとって大きな2つの問題が立ちはだかった。ひとつは資金、もうひとつは言葉である。

生活費は安いだろうと思っていたし、バイトをしながらぎりぎりの生活でいいから行こうとおもっていた。ところが実際には、食費などで安くついても税金など、その他に高いものもあって生活費は日本とそう変わるものでもないらしい。そして一番ビックリしたのは、イタリアでは留学生のバイトは認められていないのだ!これには正直困った。

さらに追い打ちをかけたのが、大学でも私学(専門学校のようなもの)でも専門分野を学ぼうとすると、少なくともイタリア語が中級以上でないと入学も難しいのだ。また、資金面で有効と思われた奨学金もやはり中級以上が条件。貯金もないし、学費と生活費なんていまから貯めてたらおっさんになってしまう。う~ん、八方ふさがりとはこの事かぁ!!

そこに、神の声が聞こえてきた。
「日本人はやっぱり器用なとこがあるから、美大の学生がイタリアの大学に行って、「なんやこれ!」ってこともあるんやで。実務経験があるんやったら見る目も違うんやから、語学学校に行きながら少しでも長く滞在することで学べることはたくさんある。学校に通うことだけが勉強違うやろ。」
決定打だった。このスペシャルナイスなアドバイスをくれた恩師に大感謝!!である。

結局、資金の方は、実家に戻りそこから通えるところで仕事を見つけて貯金をつくることにした。

(`96.夏2~秋)

ページの先頭へ

0-3 プータロー生活のはじまり  

japan0_2.jpgとうとう、仕事を辞めて帰ってきてしまった。あぁ、満開の桜もボクの新生活のスタートを祝ってくれているんだね・・・。はっ、いかんいかん、今までの忙しさとのギャップにとろけてしまった。

一応、出発を1年後の春に定めて、この4月から「NHK テレビ/ラジオ イタリア語講座」を始めることとそのテキストにも広告が載っている、イタリア文化会館の「イタリア語コース」(入門と初級会話を週1コマずつ、夜間90分)に通うことに決めた。数もかぞえられないまっさらからのスタートだ。

学生時代にドイツ語をとったときには、男性名詞・女性名詞の区別や、動詞の活用など覚えることがたくさんあってぜんぜん身に付かなかったし、これに限らず国語を含めて語学というものは苦手だった。それが目的が違えば取り組み方も変わるのか、ちっともいやな感じがしない。それは、もちろん目的があるからだが、テレビもラジオも、通っているコースも楽しい雰囲気なのも大きいと思う。

こうしてまず、語学の勉強は順調にすべりだした。
が、肝心の資金の方が大問題を抱えた。仕事が決まらないのだ!もちろん、スグに決まるとは思ってはいないが、それにしても、いいと思えばイタリア語コースに通っていることがネックになり、うまくいかない。
まずい!このままだと、職業:家事手伝い、かぁ!?

('97.04)

ページの先頭へ

0-4 職業:Mac使い  

japan0_1.jpgやっと仕事が決まった、DTPのお仕事だ。それも予想外に家から十数分の距離である。
「よしよし、やはり運気は上昇中だぞ!」
厳しい状況だったのにもかかわらず、興味のある仕事の一つにつけたことで、そんな風にほくそ笑んでいる。

困るのは、各税金関係を個人で払うことになり、それが予想以上に高いのだ。今までも給料引き落としでそう変わらない額を支払っていたにも関わらず、行政に対して初めて大きな怒りを感じる。
「俺の大事な留学資金の上前ハネといて、ノーパンしゃぶしゃぶ行くんじゃねぇぇ!!!」


イタリア語コースに通うのには、わけあって片道のトータルが2時間近くかかる。まず、最寄りの駅から1時間電車に乗るのだが、このときに意外と本を読むなどの充実の時間を過ごせる。

まあ、このときにイタリア語の本など読んで、数字や簡単な単語くらいは覚えておこうと思い、「イタリア語が面白いほど身につく本/町田亘著/中経出版(2006年新装版)」を使ってみている。絵がついていて字もわりと大きいから、語学の本でも開く気がするだろうと思い買ったものだが、これがなかなか優れモノ。特に、基本単語と基本文法の部分は突き詰めていけば物足りないだろうが、入門レベルの人にはちょうどよくまとめられている。
授業で出てくる範囲とも似ていて、また、敬遠しがちな冠詞の活用などもわからないときにパッと開けるので便利だ。

ページの先頭へ

0-5 覚えやすい名前  

japan0_3.jpg「HIROSHI !」

あたまの中は「?」がいっぱいで目を伏せたボクを見透かしたように、リタ(イタリア語の先生)が呼ぶ。その声もちょっと楽しそうだ。だが、実をいうとまだ何を聞いているか質問の方を完全に理解できない。だからなんと答えていいか自信がないとついついそれが顔に出てしまう。まるで、小学校の時のようなそんな気分を、まさか大人になって、しかも外国語の授業で味わうとは思ってもみなかった。

決まって(たぶん)ちょっと困った顔でとりあえず「こう答えるんだろう」の予想のもとに答えてみる。
「ペルフェット!(完璧)」
答えが合っているとニャッと笑ってそういってくれる。そう、彼女もボクがまだよくわかっていないのをちゃんと知っているんだ。

それにしても、いくら入門レベルのボクが鍛えられる必要があるといっても、当たる回数が確実に人より多い。
最初の頃は雰囲気だけであがってしまい気がつかなかったが(授業に日本語は使われない)、クラスメートの意見もそうだったし、もうひとつのクラスでも同様だった。なぜか!?

答えは単純だった。イタリア人に限らず外国人は「ひろし」という名前が日本人に多い名前だということをちゃ~んと知っていて、とっても覚えやすいのだ。だから他の人に比べて覚えられるのが早く(1度で覚えるのがほとんど)、「誰に当てよっかな~」なんて考えているときに、困り顔のひろしさんがいたらイタズラ心がうずいちゃうんだ。

でもね、リタ。桁数の多い数字のやりとりがあんまり多いとつらいです。だってまだ、1から全部かぞええなきゃいけないんだから。

('97.06)

Hiroshi という名前、聞いたことのないイタリア人には覚えにくい名前なのだが、ある日、強烈にインプットできるワザを発見する。

「Hiroshima って街はしってるでしょう? そこから ma をとって Hiroshi。」
こう説明して覚えられない人はあまりいないからだ。


逆に同年代以降の連中ならその必要すら無い。

「Jeeg robot d'acciaio(鋼鉄ジーグ)に乗ってたのが俺。」

主人公の名前がヒロシでなぜか男女関わらずかなりの連中がそれを覚えているので、自分がちっとも覚えていない(放送されてない地域だった(?))のをほっといて、有効に活用させていただいている。
少なからず「エッ、ヒロシ!?」とちょっと嬉しそうにしているヤツの頭には、間違いなくロボに乗り込むヒロシの姿が浮かんでいる訳である。

2011年3月 ミラノ

ページの先頭へ


Archive