フィレンツェ編 16-20 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

1-16 コハ・ホーラ  

01-16.jpegコヘホッホー!(とは言わないけどね)イタリアではキッキリキーきれいなイタリア語をしゃべるから、語学の勉強をするならフィレンツェで!と聞いていたし、実際に語学学校もたくさんあるんだけど、根っからのトスカーナ人(このあたりはトスカーナ地方)はみんなハホハホ言ってる。

これはトスカーナ弁の特徴のひとつで、たとえばよく言われるのが「コカ・コーラ」を「コハ・ホーラ」と発音してしまう。
カ行の発音ががハ行に変わってしまう、でも文章のアタマのカ行だけはきちんと言える(何故!?)からだ。

同じクラスの日本人、サヤカちゃんのホームステイ先のおばさんも強烈ななまりのある人で、その友達が集まって夕食ともなると、彼女が結構上級なのにも関わらず、拷問みたいなものだとぼやいていた。
と言うのも最初の5分は質問責めにあうが、なまりのために、書いてくれれば簡単に答えることのできる質問でもほとんど聞き取れず、その後は無視されてしまうからだ。

これはボクになんかとうてい太刀打ち出来ないだろうな。
だってそのおばさん、サヤカちゃんのことも「サヤハ!」、スパゲッティ・アル・ポモドーロも「スハゲッティ・アル・ホモローロ」とか言っちゃってるからね。

(06/10/'98)

ミラノに住むようになって、ずいぶんたった頃、フィレンツェで長い事過ごした人と知り合った。
その友達がお酒が入ると少しずつトスカーナ弁が漏れてくる人で、日本人なのに器用になまってるなぁ、と変な関心をされていたのだが、別の友人に呼びかけた時はさすがのボクも笑ってしまった。
「ルハー!」
ルカの肩も震えていたよ。

2011年3月 ミラノ

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1-17 「サルーテ!!」その2  

01-17.jpeg「Salute(サルーテ)」はくしゃみの時以外でも、いくつか使われる場合がある。
たとえば電話で「よろしく言ってね (Salutami 誰々)」のとき、たとえば「元気でね (Un saluto など)」のとき。
なかでも一番使うのは「乾杯!」のときだろう。
直訳すると「健康」を意味するから、どれも相手の健康を願う意味でつかわれるわけだ。

本当は乾杯の言い方にももうひとつあるけど、なんだか日本人は「サルーテ」の方をよく使う。
学校の仲間達で食事をしたときに、ドイツ人で仲良しのエルマーが、「ボクは今までの人生の中で、イタリアに来てこの1週間が1番お酒の量が多いよ。」と言いながら、何回も「乾杯!」って言っていた。彼はそのもうひとつの「乾杯」が日本語で何を示すか知ってるからだ。(ホントは発音はちがうケド)

エルマーとボクが「乾杯」を言うたびにあんまり笑うので、さすがに周りの連中もそれが気になり始めた。男女関わらず、そういう話に大乗りのヨーロッパ人のこと、今度はみんなで言いました。

「チン、チン!!」

(15/10/'98)

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1-18 うんがついた!  

01-18.jpegドゥオモを違う角度で見上げてみたら「クソッ!やっちまったぃ!」
とうとうフィレンツェの洗礼を受けてしまった。その瞬間の感触でスグにわかった。
まったくあれほど気を付けていたというのに慣れるとすぐこれだ!

最初はヤツの多さにはあきれたものだ。
夏の暑い頃にはかぐわしい香りを放っていたし、最近は落ち葉に隠れてうまくナリを潜めているから、うかつにぼんやりと空を見上げて歩いてなんかいられない。

そういう理由からかどうか、ときどきふっと見上げると新しい発見があるのも事実だ。
美しく飾られた窓だったり、昔あった洪水の水位を示すプレートだったり・・・。

それでも、こうも新鮮なヤツをイッてしまったら、あぶなくころんでしまいそうだったよ。
そういえば、最初に旅行で来たときに、カエルに似たガイドのおばちゃんに言われたっけ。
「フィレンツェではワンちゃんの落としものにお気をつけあそばせ!」

(23/10/'98)

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1-19 ヴィート、ベイブ後(ご)  

01-19.jpegボクは食べないでねボクが今、イタリア語を習っている先生は2人ともとっても個性的だ。
2人の授業を受けていないときから、そのオーラは感じる事が出来た。

まずは、文法を教えてくれているカルロ。
背が高くて、フィレンツェの人にしては珍しく、いつもスーツをビシッと着ている。
彼のクラスはいつも笑いでいっぱいだ。
ただし、本人の!

「カッカッカッカッカ!!!」
隣の教室からカルロのでかい笑い声が聞こえてくる度に、他の先生は笑いながらもあきれ顔だったけど、実際、結構大したことはないことで言った本人がまずバカうけしている。
あんまり楽しそうに笑うから、ボクなんかついつられて笑ってしまうけど、みんなもそうらしい。

おかしいのは、授業の時にはこんなにハイテンションなのに、終わるとまさに風船がしぼむようにそのテンションが普通の人にもどってしまうところだ。

会話の授業の方は、美術史の先生でもあり、学校主催の遠足ではいつもわかりやすくて面白い解説をしてくれるヴィート。
ボクにとっては彼以外の説明を聞いてもまだよくわからないのだけれど、時にはその美術館などの職員がついてまわって最後に拍手をした人もいたから、ホントに素敵な解説なんだと思う。

「ポキ、カペッリ」
前髪が薄くなってきたのをそう言いながら、ちょっと悲しそうな顔をしてみせるんだけど、そのわりに自分でこの話題にふれることが多い。
ホントは寒くなってきたから帽子をかぶりたいところだけど、ぬいだ後にぺったんこになってもっと少なく見えるのが気に入らないんだそうだ。

小さな頃には、妹が寝ている間に雨戸を全部閉めて、
「ボク達はクジラに食べられちゃったんだ」
と言って、妹を大泣きさせたことがあるこのエピソードがとても彼らしいと思う。

ドコで覚えたんだか、両手を合わせて、
「ビンボー、デース」
バスの検札で捕まったらこうやれと言う。

しゃべる子ブタちゃんの登場する「ベイブ」という映画があったけど、つい最近テレビで放映されたとき、次の日の授業でヴィートお気に入りのクラスメートに言っていた。
「ナオーミ!君はベイブを見た後でもマイアーレ(ブタ)を食べれるのか!!
なーんて子なんだ!!!」
ヴィートの場合は宗教上の理由もあるらしいんだけどね。

(30/10/'98)

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1-20 ミラノへ  

01-20.jpegシエナのパリオ、レース直前もともとミラノにも行きたいと思っていたから、学校の資料などは手に入れていたし、その中でデザイン関係の専門学校は、2~3年のコースを取らなくては意味が無いからそれはやめようという結論は出していた。
だけど、語学学校で取っているコースのレベルが上がるに従って、宿題に追われたりと毎日の生活で手一杯になってくると、具体的にそれを進めてもいなかった。
それが、ある日突然ひらめいた。
「来月行こう!」

思いついたときというのはきっと何かあるのだろう、連絡を取ると家の方も何とかなりそうだ。
滞在許可証を受け取る関係と、まだ語学も中途半端なので、引き続き語学学校に通うことを決めた。
問題なのはフィレンツェの滞在許可証のオリジナルを取得していかないことには、ミラノで申請できないことだ。この問題は街によって全然違っていて、ココでは申請してからその半券を持ったまま、正式な書類はいつになっても出来ないことで有名だ。
だからいざというときは半券が効力を持っていたのだが、今度ばかりはそうはいかない。

なんとしても、もらわないと!

朝8時半のクゥエストゥーラ(警察署)が開く時間に毎日通って、顔を覚えさせるくらいしないとダメかもしれない。それに3人いる担当者によっても勝負が決まってくる。

イタリアに滞在する者にとって、これはちょっとした戦いだ。

(01/11/'98)

当時はまだイタリアのシステムもいい加減であった事もあり、こういう事もできましたが、渡伊前にヴィザを取得する際に全ての書類(通う学校の入学証明、複数の学校(語学>専門学校)の手続きができるかは大使館に要確認)をそろえる必要があり、それ以外に街を移る事はおろか、学校を変わる事もできなくなっています。
国境を越えるためにヴィザ(期限日数による)、規定日数以上いる場合は滞在許可証の取得は必修となります。
過去の口コミ情報を鵜呑みにして、これをクリアにしていないと不法滞在になるので要注意。
法律も少しずつ変わっていくので、必ず所要機関への問い合わせ・確認を。

2011年3月 ミラノ

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