ミラノ編 01-05 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

2-1 流浪人  

02-01.jpegこんな時計だと時間もゆっくり進んでいそう ピサにて「また、引っ越しちゃったな。」
新しい土地で、まだ見慣れない通りに立って思う。
子供の頃から引越が多くていやだったはずなのに、大人になると自分の都合でどんどん住む土地が変わる。
きっとこういう星の下に生まれたんだと、ちょっと大げさに解釈してみている。

イタリアに来てからは、新しい経験が多すぎて消化できずにいるくらいだから、時間の流れがさらに早く感じるようになった。そのわりに自分の中の変化はのんびりで、ときどきそのテンポのズレでとまどってしまう。

新しい土地に来たときは、意味もなくふらふらと歩くのがすきだ。そのあたり独特の風景、人、音。
まだ、知り合いも少なくて暇を持て余すくらいだから、いろんなつまらないモノに興味をひかれている。
そのつまらないモノにちなんで、勝手に通りの名前をつける。
友達に道を教えるときも、勝手に付けたその名前とともにムリやり教える。
だから仲間達は、誰も気にとめないヘンな看板や、わざわざ見上げないと見えないような何のことはないオブジェまで、通るたびに気になる羽目になる。

この街でも見つけよう、ココにしかないなにかを。

(23/11/'98)

11月の終わりにやってきたミラノは、曇天でいつも薄暗く、北イタリアだとハッキリわかる程に寒かった。
語学学校が終わってすぐもどるのもいやで、いろいろ歩き回ったおかげで、いろいろなものを見られたが、そんなミラノも悪くないと思えるようになるのは、もうちょっとだけ先の事である。

2011年3月 ミラノ

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2-2 ホントにおなじ国!?  

02-02.jpeg繊細さもあわせもつ、壮大なゴシック様式のミラノ・ドゥオモフィレンツェとミラノは、ちょうど大阪と東京の半分の距離を縦にした感じ。
こちらの新幹線にあたるEuroStar(エウロスター)で2時間40分程だ。

「振り返ってみれば、やっとイタリアに慣れたところだ」
なんて思っていたけど、ちょっと違った。
フィレンツェに慣れただけだったのだ。

とにかくミラノはでかい。
ちょっと頑張ればドコにでも歩けて行けてしまっていた頃と違って、どこかに行くときに Metro(メトロ:地下鉄)や Tram(トラム:市電)、Autobus(アウトブス:バス)の路線図の載っている地図なしで動き回るのはちょっとつらい。

建物もでかい。
建築規制はあっても、高さや色がガチガチに決められているのではないのだろう、いわゆる都会の印象を受けるから、東京にちかいとも思う。

そして、使われている言葉も少し違う。
いわゆる方言という意味ではなくて、イタリア語には北に行くほどほとんど使われない文法があるのだ。
ボクとしては必修で覚えなくてはいけないことが減るようなものだからいいけれど、そんなんってありかぁ!?

一番思うのは、いろいろなモノのシステムの違い。
特に銀行や警察が、ボクら外国人にとってはスグに影響の出てくる部分で、しかも、管轄ごとにすこし違うところがあったりするから、今回も Permesso di soggiorno(ペルメッソ・ディ・ソッジョルノ:滞在許可証)がらみで苦労してしまっている。本当に同じ銀行の支店なのかと疑うほどだ。

お互い自分の街が1番だと思っているから、いろんないいところをどんどん言えるのは愛すべきところではあるけれど、だったらもう少し効率も良くなってくれたらいいのにね。

(02/12/'98)

やっぱりミラノって都会よねぇ。

フィレンツェから来るたいていの友達がまず、そういう感想を漏らす。
何度やってきても、住んでいる場所が違えば、ここでボクが受けた印象そのものを受けるからだと思う。

東京と同じなのは、いろいろな街から人が集まってきているのもそう。
他の国と陸続きだから、外国人も含めて、いろいろな出会いのチャンスが、面白い刺激にもなる街だと思っている。

2011年3月 ミラノ

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2-3 パネットーネ  

02-03a.jpegショーウインドウを飾るツリーイタリア人にとっても、ナターレ(クリスマス)は重要な日。
通りの飾り付けがどんどん進んで、夕方ごろ電飾がつきはじめると、とても華やかになる。

クリスマスというと赤と緑の色の組み合わせのイメージが強かったけれど、こちらでは意外にそれは少ない。よく使われているのは金色で、それに赤、青、白のどれか一色を組み合わせてシンプルに仕上げたモノがきれいだ。



02-03b.jpegパスタを使った友人作のリース松ぼっくりの種類の1つに、日本のものと同じ形状でサイズが12cm程と大きいものがあって、夏にはたき火の燃料にも使われてしまうものなんだけど、いろいろ飾りにも使われる。そのまま使ったり、金色のスプレーをかけたり、キャンドルスタンドになっているのも見た。

飾り付けと同時に、良く目にするようになったのがパネットーネ。もともとは、ミラノ発祥のナターレためのフルーツケーキの事で、今は全国に広まって少し違う種類のモノもあるようだ。
いま、このパネットーネである事件が起こっている。細かいところまではわからないのだが、フィレンツェとボローニャで1つずつ、毒入りパネットーネが見つかったのだ。



02-03c.jpegパネットーネと一口ケーキのデザートセット!これは発売元のネッスルに対してのものだろうか。どちらにしてもテロなのだそうだ。
この商品名「Motta」はすぐに回収されて、会社にとって大打撃なのは間違いないだろうが、さすがイタリア人、負けてはいない。ミラノとローマで回収されたパネットーネを試食コーナーを設けてふるまったのだ。
もうひとつすごいのは、CMが引き続き流れていること。ごく普通に!

なんだか師走に物騒だと思っていたら、とうとうドンパチはじまった。
外国では兵役もあるし、この手の話題の時には自分が平和ボケしている日本人の1人だと痛感するけど、今回も平和ボケの日本のお役人は「遺憾」とか言っちゃってるのかな!?

(17/12/'98)

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2-4 ブォン・ナターレ!  

「Buon Natale !(ブォン・ナターレ:メリー・クリスマス)」

12月に入る頃から街にナターレの装飾が始まると同時に、人々が別れ際にこの言葉を付け足すようになった。
井戸端会議で盛り上がった後のおばさま達を始め、ちょっとやんちゃな少年までもが近所のおばちゃんに挨拶しているのがほほえましい。

ナターレ前最後の週末には、プレゼントを買う人のものすごいひとでに加えて雨降りだったから、ドコも満員電車の中のような状態で歩けやしない。クリスマス商戦はどの国も同じなのかな。

この年末年始をフィレンツェに里帰りする事にして、いろいろ見て歩くと、飾り自体はミラノの方がきれいだし規模も大きいけど、絵になるのはフィレンツェのこの雰囲気の方の様に思う。
レプッブリカ広場の街で一番大きなツリーの飾り付が雑なのには笑ってしまったけど。
ショーウインドウの飾り付けはミラノの方が圧倒的にすばらしい。
ブランドの店舗もつらなるモンテ・ナポレオーネ通り周辺などは歩いていて楽しい。

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フィレンツェ、ナターレ(クリスマス)の街角

02-04e.jpeg24日には家でごちそうを作るためにスーパーやメルカートは混雑しているけど、レストランやバールはほぼすべてがお休み。
外国人の友達もナターレのために帰省してしまったし、本当にみんな家で過ごすものなんだなと実感する。

ボク達も残った仲間でナターレ・フェスタをする事にした。1人1品持ち込みの条件!
生地から手作りのピッツァや七面鳥の野菜詰め丸焼きのような本格的なものまで作って、とても楽しいものになった。



02-04f.jpegクリスマス・プレゼントに浴衣と帯をもらって大はしゃぎの日本大好きっこAmiちゃんは、あんまりうれしくてどうしても寮の友達に見せるんだと、着たまま帰ってしまいました。

この1年は日本とイタリアでちょうど半分ずつ、いろいろな方にお世話になりました!
本当にありがとう。感謝をこめてTante Auguri !!

(24/12/'98 フィレンツェにて)

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2-5 ブォナンノ!  

02-05.jpegドン、ドン、パンパン、ドパパパパパン!!!

「Auguri(アウグーリ:おめでとう)」
「Buon Anno(ブォナンノ:あけましておめでとう)」
の声と共にこんなにも騒がしく新年を迎えるなんて!!
そこら中で花火や爆竹が鳴り響き、気を抜いていたら目の前で爆発が起こっていちいちビビッてしまう。
おまけに店や車の警報機も反応してしまって鳴る始末、騒がしさも勝手にパワーアップする。

サンタ・マリア・ノベッラ駅ではホーム側に金網が張られてステージができ、そのままディスコテッカになっていたし、シニョーリア広場ではクラシックなど、大きな広場では何らかの催しがされていて、そしてカウントダウンが終わった瞬間、手にしていたシャンパンをハデにあける!
そして爆竹、花火だ。
シニョーリア広場では(道のそこら中でもやっているけど)空きビンが広場の真ん中に投げ込まれる。
いったい誰がどうやってかたづけるんだろうと思ってしまうほど、キケンな広場になっていた。

道々すれ違う知らない人とも挨拶を交わす。
こっちも大ノリだから、抱き合って挨拶をしてくる奴も適当に相手をしていたら、逆にイタリア人に「えっ、友達じゃないの!?信じらんなーい。」とやられた。自分もやったくせに。

しばらくするとサッと人がひいたように感じて、年が明けたらわりと早く帰る人も多いんだなと思っていたら、どうも人に向けて爆竹を投げつけたりと、たちの悪い連中が出てくるのを知っている地元の人が早く帰っただけらしい。
ボク達もたまたまその時間には外を出歩いていなかったけど、今年の騒がしさはすごいモノだったのだとか。
それが普通かと思ってしまっていました!
それから3日くらいはどこかで不発で終わった爆竹を見つけては「パーン」と響かせる奴がいたのでした。

今年もまた、ステキなできごと、出会いがありますように!!

(01/01/'99 il capodanno フィレンツェにて)

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