フィレンツェ編 01-05 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

1-1 大ハプニングとともに・・・  

fi1_1.jpgふうぅぅ。

とうとうこの日が来てしまった。ここは成田空港。
あれほど大見得きってここまできたのに、いざとなると武者震い。あっ、決してびびっているワケじゃないっすよ(笑)。それでも5年前の海外旅行に次いで、ほんの2度目が留学となるとやはり少し緊張もしている。

まずはチェックイン、そこでいきなり問題をかかえてしまった。スーツケースの重量が重すぎて、その超過料金が異様に高いのだ。それは自分でもわかっていた。ちょっとくらい重くても、できるだけ自分で持っていき、郵便事情が悪いと言われるイタリアにはあまり荷物を発送したくなかった。それが、ちょっとの超過ではなかったわけだ。

出足をくじかれたようでいきなり落ち込む・・・暇はなかった!
空港でスーツケースをガバッとあけて、優先順位の低い物を出す・出す・出す!ジロジロ見てる外国人にガンをとばしつつとにかく出す!
こうして、おのぼりさんのような荷物は減っていった。

まったく、前途多難なスタートだが、これに気疲れしてぐっすり寝れたから、まぁいっか。

(29/06/'98)

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1-2 ローマの1日  

01-02.jpegフォロ・ロマーノ本当はスグにフィレンツェに行くつもりだったけれど、誘いに弱いボクは、ついついローマ観光をする気になってしまった。前回、旅行の時に見れなくて心残りになっていた場所があったからでもある。それが、フォロ・ロマーノ。

古代ローマ時代の市民の生活の中心だった場所で、シーザーが「ブルータス、お前もか!」と叫んで殺された場所もここだ。遺跡なので、面白いかどうか好みの分かれるところだが、古代人がこの場所を歩いているところを想像すると感慨深いものがある。

ローマの夏はとにかく暑い。今のところそれ以外の場所に行っていないから比較のしようはないけれど、直射日光に当たっているとつらい。一緒にいったチビ助が、まずバテていた。
休憩しようということになって、飲んだマクドナルドのスッコ・ダランチャ(オレンジジュース)が日本のと違って顆粒も入ったもので結構うまい。失敗したのはMEDIA(Mサイズ)が日本のLサイズと同じくらいデカかったのでした。

他にもせっかくだからと、うまい店に連れていってもらい、しょっぱなからガンガン喰った。
こっ、このペースはまずいのではっ!?

(01/07/'98)

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1-3 ココはドコ!?  

01-03.jpegフィレンツェ花の大聖堂いよいよ、滞在地フィレンツェへ!
しかし、到着時間まであと20分無いのに、どう考えても電車はあと1時間はかかる位置を走っている。
「の、乗る電車を間違えたぁ・・・。」
そこへ、追い打ちをかけるようにアナウンスが1時間後の到着を告げる。これは非常にまずいことになった。予定時間にはフィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ駅に、ホームステイ先のファミリーの迎えの人が来ているハズなのだ。ちゃんと聞いて確かめたのに!

「ほら、とってもきれいな景色だろう。オルヴィエートって街だよ。」
隣のおっちゃんがボクの事情など知るよしもなく、マイペースに解説を続けてくれる。
「いやいや、それどころじゃないんだってば。」
「なんだって?おっちゃん日本語はわかんないなぁ。わっはっはっはっは。」
まったく、一度話が始まると他のことを考えるスキもありゃしない。おかげで仕方ないやと思うことにする。

とりあえず、ごめんなさいってこう言えばいいんだよな、と考えながら降りていくとスグに「HIROSHI」と書かれた紙をもったシニョーラ(英語でいうMrs. )と出会った。よかった、まだ待っててくれたんだ。
「あなたがHIROSHI? 1時間も遅れてくたびれたでしょう。」
そう、乗った電車は間違っていなかったのだ。シニョーラはちゃんと理由もわかっているからかえってこっちを気遣ってくれていた。どうやら電車の追突事故があったらしい。

こうして、ココ、ANTELLA(アンテッラ)にたどり着いた。
しかし、前の日に地図でどんなに探してもそんな地名は見つけられなかった。前情報としては、「チェントロ(フィレンツェ市街地のこと)からバスで30分、キャンティに近い景色のきれいなところです」ということだけ。フィレンツェは街としては小さい方で、そこからバスで30分、しかもキャンティといえばワインの産地だ、ってことは、かなり田舎なわけやね。

01-03b.JPG家の窓から見えるオリーブ畑その晩、ちゃんと聞いてみました。
「ココはドコ?」
フィレンツェの南東に位置する、オリーブやぶどう畑の広がる地域で、遠さの不便と引き替えに、普通ホームステイでは住めない、すばらしい景色を満喫できる場所なのでした。

(02/07/'98)

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1-4 少女漫画のように・・・  

01-04.JPG「ミ・キャーモ・ヒロシ、ピアチェーレ!」
私はHIROSHIです、よろしく、とイタリア語で何度言っただろうか。とにかくボクにとってこの家での初日に、たくさんの人の出入りがあった。マルチェッロ&ジュリアナ夫妻に始まって、同居している末娘のフランチェスカ。そこまではちゃんとわかったが、他にバンニ&アントネッラとその息子フィリッポ、ベローニカ、ジョゼッレと、いったい誰が何者かちっともわからない。

それよりももっと問題なのは、書いてもらわないと全然名前が覚えられないのだ!まるで少女漫画とか宝塚にでも出てきそうな名前で、こんなにカタカナの名前が覚えにくいなんて!
ものによっては男女の区別すらわからなくなる。せっかく書いてもらったとしても、こちらの人の書き文字はなかなか読みづらいし、ましてや年齢なんて想像もつかない。しょっぱなからこんな事で困るなんて思ってもみなかった。

しかし、皆いい感じの人たちで、ボクが辞書を引きまくっているあいだも気長に待ってくれる。自分の言いたいことは少し言えるけど、その返事が聞き取れもしない今、食事のあいだも辞書の伊和と和伊を2冊積み上げておかないとちっとも会話にならないのだ。まあ、引いたって会話してるとはいえないけれど・・・。

結局、アントネッラが結婚後も近くに住んでいる長女、ジョゼッレは前にホームステイをしていて、今はチェントロに住んでいるアメリカーナ(アメリカ人女性)。アルジェンティーナ(”元”宿敵アルゼンチン人女性:サッカーのこと、ワールドカップまっただ中に着いたからね)のベローニカに至っては、同居している留学生なのに、3日後までわかっていなかった。だって、フランチェスカの友達が遊びに来てると思ってたんだもーん。

(03/07/'98)

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1-5 なんにもわかりません  

01-05.JPG七夕の日にちなんだで日本人が描いた路上画語学学校の授業が始まる前にはまず、レベル分けをするためにテストがある。朝、受付で氏名を確認すると表裏1枚のテスト用紙を渡されて、あとは勝手に好きな場所で好きな時間だけ使って解答していく。中庭のベンチでささっと終わらせる人もいれば、問題も読めなくて顔を引きつらせているボクみたいなのもいることはいる。

とにかく穴埋め部分から推測して何か入れていってみるしかない。向こうの方ではもうすでに終わらせてしまった外国人達が、採点のための列をつくっている。
どうにか知っていそうなところを埋め終えた頃には、行列もほんの数人に減っていた。
こうして、プリモ・スペリオール(レベル1と2の間)というクラスで授業を受けることになった。

最初はまず、みんなの自己紹介から始まる。
イギリス人のジェニーやアメリカ人のジョンの言うことはわりとよくわかったけど、フランス語なまりの強いイタリア語を喋る人など数人は全然聞き取れず、名前も年もわからない奴もいる。ポーランド人の修行僧の男性にいたっては、他のみんなも発音が難しい名前だからとビートと呼ぶことに決まってしまった。

そして授業ははじまった。
いきなり金縛りにあったと表現した人がいたけれど、まさにその状況。きっと、「目がテン」になっていたんだろう、話の切れ目に「HIROSHI、アイ・カピート(わかった)?」と先生。力無く、フルフルと首を横に振るしかなかった。

授業が終わった後、オーバーヒートしきった頭をさますつもりで食べたジェラートで、とどめにキーンと来てしまったのでした。

('97.06)

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