フィレンツェ編 21-23 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

1-21 麗しのサブリナ  

01-21.jpegボクが今、一緒に部屋をシェアして住んでいるのは、大家さんでもあるサブリナ。建築関係の仕事をしていてMacを使う32歳のとてもきれいな女性だ。
最初の頃は飼い犬のルナが子供を産んだ直後で神経質になっているから、恋人のフェリーチェの家に連れていったままで、彼女もそこで寝起きしていたから、ほとんどボクの一人暮らし状態だった。
それがこのごろはMacの使い方を教えてあげたり、すっかり落ち着いたルナがボクに慣れてじゃれてくるようになって、なんだかとっても仲良しだ。

ルナ(イタリア語で「月」の意味)もだいぶん気に入ってくれたようで、帰ってきて玄関のドアを開けるときは気を付けなきゃいけない。うれしくて飛びかかってきて、足跡だらけにされるわ、顔面にパンチもくらうわ・・・。狩猟犬だから女の子でも結構たくましい。
どんなに気を付けていたとしても建物の入り口を入ったときからちゃんとわかっていて、ドアのところで待ち伏せされているんだけど。
いつもこそっとドアの隙間から中をうかがってみると
「わかってるよーん」
って顔をしたルナがいる。

サブリナがフェリーチェのところに行くときは、よく置いてけぼりにもされているけど、そんなときボクがソファに座ってテレビを見てると、手や頭を膝のうえにポンとのっけてくるカワイイ奴だ。
だけど、自分のおシリを舐めたクチでボクのクチにチューするのはやめてほしい。

ミラノに行くのを決めたときサブリナは
「ミラノは全然良くない街だから、スグに戻って来たくなるわよ」
と言って、ちょっと残念そうにしてくれていた。
ボクが出た後に入る予定の人がキャンセルになった時は、ちょっとニヤニヤしながらこう、
「よかったわねぇ、どうせ1ヶ月くらいで帰りたくなるからその時は電話してくるのよ。」

Grazie, Sabrina !

(07/11/'98)

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1-22 滞在許可証取得!!  

01-22.jpegロンドンのパフォーマンス”ついに”やった!
ペルメッソ・ディ・ソジョルノ(滞在許可証)を取得した!!

この道のりは本当に長い。
フィレンツェにはこのオリジナルの書類を持っている人が何人いるんだろう。
それくらい長い間待たされるのだ。
最初に提出したときには、
「2週間後にきてください」。
それが、受け取りに行くとずーっと
「まだあと10日くらい」
とおっしゃる。
こうして延々と何ヶ月も待たされるわけだ。

では、滞在許可証なしにどうやって過ごすのかというと、前出のように(1-20 参照)提出したときに受け取る半券に効力があるわけで、「まだ受け取れないんだもん!」そう言ってクゥエストゥーラ(警察署)の印のある半券を見せるわけだ。
この汚い字でサインを入れてある紙切れがパスポート並みに重要だなんて!

そして朝8時半のクゥエストゥーラに通い、粘ってケンカして顔を覚えさせる作戦が功を奏した。
言いたいことが全部うまく言えない障害は、手紙を書いていくことで対抗したし、それも普通に受け取って読むとは思えないから毎日だ。

こうしてとうとう自分の滞在許可証をゲットできた。
期限が切れる4日まえに!!

(29/08/'98)

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1-23 アリヴェデルチ、フィレンツェ  

01-23.jpegジョットの鐘楼からとうとう、というかあっという間にこの日がきた。
ふりかえる暇もなく、だだーっと弾丸のように過ぎていった毎日。
想像以上にいろんな事があって、いろんな人に会った”濃ーい”5ヶ月。
今、5ヶ月と書いてみて、あらためてそれだけしかいなかったのかとちょっと驚きだ。

どこかに出かけて街に戻るとき、クーポラ(ドゥオモの丸屋根)の赤茶色の屋根が見えたら
「あぁ、帰ってきた」
とホッとするし、うるさくて最初はいちいち目が覚めていた2つ上の階のファミリーの早朝の話し声や、下の店のおっちゃんの同じとこだけくりかえす、ちょっと音痴な鼻歌にもいつの間にかすっかり慣れて耳に入らなくなってしまっていた。

最初のホームステイ先、ZOTTI(ゾッティー)ファミリーにお別れを言いに行ったときは、英語圏から来ていて言葉が通じてしまうから、学校以外でなかなかイタリア語を使おうとしない今いる留学生に向かって、
「HIROSHIを見てごらん。この子は7月に来たときは”全然”何にもわからないし、しゃべれなかったのよ。それがやっと5ヶ月ででこうなったの。だから、がんばってもっと話しなさい。」
そんなに強調されてそれを言われると・・・。(笑)
でも、この家がスタートだったからここまでこれたのは本当だ。
マルチェッロとジュリアナはボクのイタリアのバッボとマンマだからね。

そして、何より離れるのを残念に思うのはこの今の環境。
ボクの知らない分野のいろんな事を見せてくれ、世界を広げてくれた友人達にも大感謝!
キミたちと過ごした時間もまたかけがえのない経験になっています。

アリヴェデルチ、フィレンツェ。
ココでずっと立ち止まってはいられないから、つぎに行きます。

(21/11/'98)

この時は、この5ヶ月の滞在が縁となってフィレンツェに何度も帰る事になるなどと、想像もしていなかった。
滞在中に知り合った友人たちから広がってできた、たくさんの友人・知人。
いまではフィレンツェに行くのは、ボクにとっては「里帰り」のようなものであるのだから、不思議なものだ。

やっぱりあの赤茶色のクーポラが見えると、「ただいま」という気持ちになり、市バスが中心地を通らなくなってしまった今は、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着いて移動中すぐに前を通る事が無くなってしまったけれど、建物の隙間から時々見えるそれを、探そうとする自分が居る。

2011年3月 ミラノ

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