ヴェネチアシェフ、そう彼のことを、シュフ、そう彼女のことを仲間内では呼んでいる。
ときどき入れ変わるこの家のメンバーで、今月に入ってちょっと面白い変動があった。
日本人5人、スウェーデン人4人、さらにイレギュラーでオーストラリア人が1人、全部で10人にもなってしまったのだ。
最初は言葉の為などの意味で日本人がそんなにいるのは多すぎだとか、変な奴じゃなければいいなとかよけいな心配をしていた。
ところがフタを開けてみると、これがなんとも素敵な出会いになった。
最初はみんなちょっぴり人見知りで少しずつ話すようになっていったのだけど、あることをきっかけに急速にお互いの距離を縮めることができた。
その絆が食べ物なあたり、イタリアに来る人ってみんな食いしん坊なのかもしれないけれど、ヴィーノやビールが大好きで、年も近くて、皆それなりの経験をもって目指すものがあって来ているからこれだけ面白く話せるんじゃないかな。
とにかくここのところ、天井も低いし狭い屋根裏スペースに集まっては遅くまで話し込んでいる。
ヨナスの眠りを妨げて。
色彩鮮やかなブラーノ島シェフは料理の修業に来ていて、キャリアも長くちゃんとした腕を持っているほんもののクォコ(コック)。今だとカルチョーフィ(アーティーチョーク)やアスパラジ(アスパラガス)などの季節の材料を使って、教えてもらうのを名目に何度もごちそうしてもらっている。
塩やヴィーノをなぜこの時に入れるかなど、ちゃんと理屈でも説明できるし、これが料理の愛情なんだねと言ったのがいたけれど、まさにその表現がジュスト(ピッタリ)。それを味で感じさせることのできる人だ。
こういうプロフェッショナルってカッコイイ。そして自分もそうありたい。
シュフは「さぁて、今日はあたしが作ろっかな。」そういいながらシェフの方をチラッと。
そうして作るウチにいつの間にかナベをかき混ぜているのはシェフ。
そんな魅力(?)をもった、天然ボケも入ったボクらの頼もしい姉さんだ。
でもあとで1人の時にちゃんと自分でも作ってみているのをシェフもちゃんと知っている。
実は英語がペラペラで、一緒にご飯を食べに行くとイタリア語を喋るボクらと英語が流暢な彼女との間でカメリエレ(ウエイター)がとまどう姿も楽しめる。
色彩鮮やかなブラーノ島ボクとしては一日中普通のスピードのイタリア語にさらされて、頭が疲れ切った状態で帰宅した時に、母国語でコミュニケーションがとれる相手がいるっているのは、疲れがストレスにならず非常に楽。
そういう面もある。
とにかく学問としての言葉はやっぱりまだ苦手だから、こういう精神状態でいられるっているのはボクにとっては逆に上達の近道。次の日にはまたイタリア人につっこみ入れなきゃいけないからね。
この期間って長くは続くワケじゃない。
でも、ここナザーリ(ウチのある通り)の家で、こういう刺激があるのはうれしいことだ。
最近立て続けに、イタリアに来た前後のボクの顔を見た人にずいぶん顔が変わったと指摘された。
自分には全然自覚のないことだけど、童顔で子供っぽく見られるのを嫌っていたボクにとってこんなに髪を短く切って若く見える状態でそう言われることはひどく意外なことに思える。
ひとつひとつの小さな出来事が、こうして自分の年輪になってくれることを信じていよう。
(16/05/'99)
せっかく留学に来ているのに、同じ国の人同士でばかりつるんでしまって、あまり意味が無くなっている人が数多いのも本当。
ボクはラッキーな事に、この時期イタリア人に囲まれて、ようやく本格的にイタリアに触れるようになった時期でもあり、逆による家に戻って一息つける環境はありがたかった。
バランスの難しいところだけれど、今振り返るとこの時だけが日本人との同居生活だったのでした。
この数年後は、ストレス溜まってるなぁ、という時は、日本語を1週間近く話す事がなかったりもして、それはそれで結構しんどいものでもありました。
2011年6月 ミラノ
まだ少しおとなしめ「セイ・グランデ(すばらしい)」
もしかしたら、そういう言葉が聞けるのがうれしくて張り切ってしまうのかもしれない。
ココはふたたび、リキ&ダニエラの家。そう、またまたお寿司フェスタとあいなったワケ。
それにしても今回は人数が多すぎる。
「ごめんね、ミニマム45人になっちゃった。」だって。
ココでダニエラの考えた作戦は「今回のメニューは巻きずし1本に絞ります!」というもの。
ホントに大丈夫かな。
とにかく3キロものご飯を炊いて、タダひたすら作業は続く。
憂鬱な単純作業かと思いきや、一緒に巻くのを手伝ってくれた1人、イタリア人のルカが面白い。
「どうだ!こんなにうまく巻けたぞ!」
ボクよりも全然年上で、普段は落ち着いたインテリジェンスを感じさせる人だが、この時だけは巻くたびにうまくいったのを子供のようにみんなに見せてまわっている。
そして、イスラエル人女性のボズマットが作った5つものドルチェをデザートに盛大に始まった。
ゲストの1人がコンプレアンノ(バースデー)だったり、お世話になった語学学校の先生の送別会の意味合いもあったり、すごく気持ちのいい盛り上がりで、そしてみんながわざわざボクを探して「おいしいよ」と言ってくれるのでとってもいい気分。そのぶん自分でなかなか食べられなかったんだけど。
そりゃぁもう大騒ぎさそうして飲んでばっかりいたら帰る頃にはすっかりいいキモチ。
すっかり仲良しになったルカに家まで車で送ってもらったのはいいけれど、ダニエラがそれぞれに余ったヴィーノをくれたのに(それもスゲーうまいやつ)ルカの分まで持って帰った上に、彼が気づく前に全部飲んじゃった!
週明けダニエラに会ったらニヤニヤしながら
「ヴィーノおいしかった?」
ルカに電話してみたらちょっとだけ怒っていたけど、また一緒に飲む約束。
しょうがない、今度はボクがおごってあげよう。
(21/05/'99)
Lodi にてだんだん暑くなってくると、フィレンツェでもすごかったけれど、ミラノでもおんなじ悩みをかかえる事になった。
もうすでに窓を開けてないとやっていられないくらいの気温で(日中30度)、窓から日光が入ってしまうときはよろい戸をバシッとしめて風だけが通れるようにしておかないと、建物が石だから夜まで暑くていられないことになってしまう。
夕方日がかげってから、やっと窓を開け放って明るい状態でいられるんだけど、今度は侵入者に気を付けなくちゃいけない。それも夕方くらいからうろうろしている奴らに。
うっかり気を許していると、知らない間にしっかり部屋の中に潜んでいることも多い。
そして夜、眠ろうとするとチャンスとばかりに迫ってくるわけだ。
最初の頃はイタリアのはスピードが遅いねなどと言いながら、次々に撃墜できたんだけど、最近のは高性能でスピードもアップ。なかなかそう簡単にはかたづかない。
本当は日本と全く同じ、マットのも液体のも売っているんだけど、やっぱり日本人だから線香!
だって、においも色も形も、全く同じのがあるからね。
他の種類には黄色の花の香りとかもあって、試した友人は部屋が花くさくって眠れないと言ってみんなを爆笑させたこともある。
刺されてしまったとき、これはもう塗り薬を塗るしかないけど、ボクはまだ大丈夫。
ちゃんと日本から用意して来ているもの。
蚊にはやっぱりキンカンでしょう。
(29/05/'99)
「ジャーン」
とつぜん、あの起動音を聞くことができなくなった。
パワーキーを押してもバックライトが点灯してかすかにファンか何かの駆動音が聞こえるだけ。
カリカリとハードディスクの動作する、いつもはただうるさいと思っていた音も恋しく思える。
調子が悪い予感も何もなく、ある日突然だから。それはいいわけかもしれないけれど、ちゃんと対策を考えておくべきだったと思ってもアトの祭り。人のパソコンを借りてメールが使えない状況を伝えようにもメールアドレスなんかも全部Macの中だけ。ひどいものは住所すら!
とにかく、壊れてみて改めていろんな事をパソコンに頼っていたのがよくわかる。
暇な時間(何もできない時間)がものすごくできてしまってもてあましている。
これってかなりショックだったんだけど、ないと困るからお金がかかっても直すことにする。(チクショー)
そして、最近仕事をしていてうすうす感じていたけれど、壊れてみてよけいに世界がWindowsに染まっているのを思い知らされる。
ボクにとってMacは欠かせないけど、Windowsも不可欠なのを認めざるを得ない。
そういう時代になったのかもしれない。それもショックの1つ。
(02/06/'99)