ミラノ編 31-35 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

2-31 スイスへお散歩  

02-31 Boy.jpegスイスの少年 「ちょっと国境でも越えてみるかぁ。」
 軽い気持ちでこんなことを思いついたのも、ミラノからスイスやフランスに行くのは、単純に国境を越えるという意味では非常に近い。
今回行くことにしたルガーノという街も、スイスとイタリアの国境にまたがるルガーノ湖のほとりのスイス側、電車で1時間半ほどのところに位置する。

 スイスという国はもともと自国の言語もあったそうだが、フランス語、ドイツ語、イタリア語とそれぞれの国に近い地域で3種類の言葉が使われている。
フィレンツェの語学学校の頃、スイス人の小学校の先生がやたら多かったけど、それは授業でイタリア語も教えたりする事もあるからで、薬局に勤めていてイタリア語の対応も必要だからなんていう女の子もいたっけ。
そんなわけでイタリア語圏のルガーノは英語のできないボクにとっては楽ができる外国。
反面、食べ物はそれほどイタリアと変わらないようでちょっと残念だ。
それでもやっぱりスイス、うまく言えないけど何かが違うのは、建物の雰囲気だったり、そういうところからだと思うんだけど。

 本当は定期船で40分ほどのガンドリアという、傾斜地に簡素な石造建築と石畳の路地がつくる街を見たかったのだけれど、時間の関係で断念。くやしいのでまたの機会をねらっておく。
ちょっとお土産店を散策して、なかなかスイスらしいものを見つけては値段を見てビックリ。スイスの物価の高さを実感もする。
こんな風に、隣町へ行くのと同じ感覚で他の国に行くのなんて日本じゃ想像もしなかったよ。

 電車の中国境を越えるあたりのとある駅でやたら停車時間が長いのは、国境警備隊のコントロールが廻っているから。
最初ミリタリーがまわってくるから、何か犯罪があったのかと思ってビックリしたけど、日本人だとわかるとわりとフリーパスに近いのは相変わらず。
後ろのパンクファッションのカップルはチェックの人が通る度に身分証明を見せなきゃいけなくて大変そうだった。

 急にできた休日だったけど、暑さを逃れてこんなことができるのもなかなかいいもんだな。

(02/07/'99 Lugano ルガーノ)

02-31b-Como.jpgコモ湖の眺め他の国に行かなくても、イタリアの国境に近づく程、その建物の違いや言語まで、その昔別の国であった痕跡を残す街は沢山あります。
ミラノから日帰りの避暑でも行けるのはこのルガーノの他にも、コモ湖やマッジョーレ湖周辺などの湖も。
お天気に恵まれると、それはすばらしい展望を満喫できます。

2012年6月 ミラノ

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2-32 ボクの専属パルッキエレ  

02-32 Porta.jpegなぜかいつもきになる戸ボクには専属のパルッキエレ(散髪屋さん)がいる。
その名をジョバンニ、本職はプロテスタントの牧師さんで、とても感じのいい奥さんと4人の子供達のいるとても素敵な家庭のお父さんだ。
最初の出会いは語学学校。シチリア出身のイタリア人の両親を持つオーストラリア人の彼は、イタリア語を理解はできても話すことができないからと、布教の活動の関係で正しいイタリア語を話すためにならいに来ている。

 一番上の娘さんは18歳だけど、少しふけてみえるジョバンニも実は36歳。それだけ聞くと単純に早くにできただけにも思えるかもしれないけれど、実のところ彼のそれまでは決して明るいものではなかった。
それは、彼の父親が同じように数人の子供をもっていたにも関わらず、それを愛せる人でなかったことに始まる。
奥さんであるシャロンとの出会い、ココで転機になるはずも、結婚することもままならず長女が産まれた頃には違う国で離ればなれ。
そうしてようやく2人が一緒に住めるようになったのはその娘が歩き始めるころだった。

 そんなジョバンニだが、牧師といえばどこか落ち着いたイメージを想像していたけれど、子供達のあきれ顔が見れるほど底抜けに陽気な人だ。
ボクにとって語学のハイレベルなクラスに入ってしまってついていくのがつらかった時期に、彼が助けてくれたり励ましてくれたおかげでいつも一緒に笑っていられたし、ボクのやっていることを正しく評価をしてくれた1人でもあって、散髪をしてもらうのは遊びに行く口実のひとつでもある。

 牧師になる前は本当にパルッキエレだったからその腕も確かで、日本人の髪質が自分たちと違うことまでよく知っている。
だから近所のパルキエレで虎刈りになるよりも、予定を調節していつも彼にやってもらうようになった。
この間、結構短髪にしたときには一番下のヨシュア君が
「パパ、つぎはボクもああいう風にしてね。色もだよ。」
キミはそんなにきれいな金髪なんだから、クロにしちゃぁもったいないんじゃないかなぁ。

(22/07/'99)

この後、ちょっと脱色して軽くしてみたら?なんて小洒落た美容師みたいな事を言い出したジョバンニ。
時間を間違えて、まっ金々にしてくれちゃったのも今ではいい思い出。
日本では絶対にやらなかっただろうその金髪、しばらく楽しんでそのままだったんですけれど。(笑)

2012年6月 ミラノ

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2-33 ナゾの環境問題  

02-33 Pensa.jpeg「もぅ、いたずらされちゃったよ」前からずっと気になっていたことだけど、よく日本では自国の環境対策の遅れなんてものを耳にする。
ボクもヨーロッパに来るまではそういう意識が高いものだと思っていたけれど、住んでみるとちょっと気になることがある。

 たとえばゴミについて。
フィレンツェの郊外では5種類もの分別がされていて、最初のホームステイ先ゾッティ家でも、きちんとペットボトルはつぶし、缶・ビン類は洗ってから捨てるなど、気持ちよくルールを守っていた。
それがチェントロになるとなぜか違っていて、分かれるのは普通ゴミとビン・缶だけ。それすら守っていない人が大勢いるのはパッと見スグにわかる。
ミラノでは普通ゴミ、ペットボトル、缶・ビン、紙。
いつも不思議なのは生ゴミが分かれていないことだけど、食文化の違いで出る量が違うんだろうか?

 回収システムは優れていると思う。
日本のようにゴミ袋をそのまま置くのではなくて、専用の大きなボックスに入れるのだけど、ゴミ回収車はそれに付いているフックを引っかけて機能的に簡単に取り込むことができる。
これはより衛生的で、動物が荒らすこともない。だからかな?イタリアではカラスを見かけない。

 次に気になるのは洗剤の使い方。
洗剤大さじ1杯を魚が住める程度に薄めるにはこ~んなにたくさんの水が必要です!なんてTVでやっていたけど、これに関してはこちらの人が感心があるとは思えないほどの使用量だ。
そしてろくに流しもしないでお皿に泡の付いたまま水切りカゴにポイ。よく見る光景だ。
それ、自分でもまた使うんちゃうんかい!?

 もちろんココまではボクの身近な部分だけで、ごく狭い範囲でのこと。街によってもいろいろ違うだろう。
それでも、紙パックやペットボトルをつぶすことくらいなんでもないことだし、目の前に灰皿があるのに庭に吸い殻をヘイキで捨てたり、カップや皿を灰皿に使うのはいただけない。
見ていて不愉快なのは決してボクだけじゃない。
白い紙をヘイキで捨てたり、シャワーも延々出しっぱなし、部屋にいなくてもT.V.も電気も昼間からつきっぱなしだ。
しまいにはそこまでしていなかった日本人も、他の連中がそうだからいいやと・・・。

 もちろんボクだって偉そうなことを言える立場では全然ないけれど、なんだかちょ~っと違うんじゃない!?

(26/07/'99)

今思えば、これは世界中に共通する若年層の特徴&問題だったのかも。
知人・友人の中には意外にきっちりとまじめにわけている人も多く、外を歩けばポイ捨てが平気な人も沢山…。
家庭でちゃんと教えてあげて欲しいものです。

2012年6月 ミラノ

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2-34 それぞれのヴァカンツァ  

02-34 Nuvola.jpeg待っているのは青い空 !? 去年の夏は来たばかりで語学学校もまだまだ初歩、店が休みだったり街が静かだったりする事に違和感を感じなかったけれど、今年はまわりが8月いっぱいのヴァカンツァ(バカンス)に向けて動いているのが良くわかる。
気の早い連中は頭の中がすでにお休み、だから仕事はどんどんたまって遅れるいっぽうだ。
クリーニングも写真の現像もいつまでたってもできないし、郵便事情だって悪くなる。
たまった仕事が片づかなくても平気でお休みに入ってしまうものも珍しくないらしい。

 7月に入ってからはじまったサルディ(バーゲン)も8月にお休みになる店ではどんどん値下げをしているところもあるようだし、すでに改装をはじめた店舗もよく見かける。
残念なのは、ここのところ誰ともなくいいだしてぞろぞろとでかけていた、近いうえになかなかうまいジェラテリアがお休みになってしまう。

 こうして観光スポットのチェントロ周辺をはずれたあたりでは、街がいきをひそめていく。
照りつける強い日差しだけをのこして。

(30/07/'99)

この頃からすると、イタリアでもずいぶん様子が変わった。
8月のヴァカンスをずらして、商店も開いている事が多くなったし、平均的な人数は減っていても、街はわりあい賑わっている。
この不況による経済事情も拍車をかけたのは間違いないだろうが、それでも「休むときは休む!」欧米人の余暇の使い方は学ぶべき部分も多いのかもしれない。

2012年6月 ミラノ

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2-35 もうひとつの水の都  

02-35 Stockholm1.jpegあしたも晴れるかな 「シエーテ・ベン・ベヌーティ!(ようこそ)」
満面の笑顔で迎えてくれたアンナが1ヶ月ぶりの再会をこうも喜んでくれるのは、ココが彼らの故郷スウェーデンの首都ストックホルムだから。
ナザーリの家には4人のスウェーデン人がいたことは以前にも書いたが(内3人はミラノでの学業を終えて7月に帰国)、この夏に会いに行けばみんなで遊べるね、なんて軽い気持ちで話していたのが実現したのだ!
ボクは彼らに出会う前はそれほどこの国について知らなかったのだけれど、建築・デザインの目で見てもスウェディッシュ・デザインは洗練されてシンプル、色使いも独特でとても興味があった(ちなみにこの興味、4月のミラノ国際家具サロンで決定的なものになったのだよ)。
そういうわけで他の2人を道ずれに、ミラノ・リナーテ空港からたったの2時間40分でアーランダ空港に到着。そこからストックホルム中央駅にバスで移動し、まずは彼女と無事に再会を果たせたわけだ。

 スウェーデン王国(Kingdom of Sweden)、スカンジナビア半島の東側に位置の、国土の半分近くが森林に覆われた日本の1.2倍程の国土には、9万6000以上に及ぶ湖沼が点在する。
南北に長く、7分の1が北極圏内にある割には、ほかの北欧諸国よりも比較的穏やかな気候で、南東のバルト海沿岸のストックホルムの気温は北海道ともよく似ている。
特徴的なのは6月から7月半ばまでの白夜で、それを過ぎた8月でも早朝4時にはすっかり明るく、夜も23時頃までは普通の明るさだ。
また、2万4000ものストックホルム群島アーキペラゴは絶景で、それらの浮かぶかなり広い範囲が海水と淡水が半々で混じり合う海だ。

 ココまでの道のりで、まず気が付いたことは周りの空気が穏やかであること。
空港や駅特有のがやがやとした騒々しさがココにはないのだ。
アンナを待っていたカフェでもそう、皆たしかにおしゃべりをしているのになんて静かなんだろう!
これって、しゃべった者勝ちの感覚で食べてても飲んでてもギャーギャーうるさいイタリアから来たからか!?ちょっと感動すら覚える。

 さて、アンナと共に寝床としてお世話にもなるヨハンナの家で彼女のイタリア人の友人2人と初対面し、群島のひとつスククソッドという島の別荘にやってきた。
小高いところにあるその建物のデッキから絶景を見下ろし、時折行き交う大型客船を眺めていると、数年前にタイタニック級の客船が衝突事故で沈没した話を聞いた。
こんなにおだやかな中にもそういう厳しい海の歴史があることにはなぜか妙に納得させられる。
時間の流れも、夕日が沈むのもゆっくりゆっくりと、あたりがすっかり暗くなるのはもうすぐ日が変わる頃だった。

(04/08/'99 Stockholm ストックホルム)

言わずと知れた IKEA の本拠地。
この滞在を期に、彼らがノスタルジーを感じると、IKEA に出かけて、中のレストランで自分の国の食事を楽しんでいた事実を知るのであった…。

2012年6月 ミラノ

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