ミラノ編 16-20 of オイラ陽気なイタロ・ジャッポネーゼ

2-16 トクした気分  

02-16 Gioco.jpegイタリアのゲートボールと勝手に呼んでる、そして本当の名前をいつも忘れる(笑)3月28日からサマータイムが始まった。
普通より1時間、時計の針を進めるから、変わるときには寝る時間が1時間減ってちょっと損した気分。
日本と比較すると、イタリアの方が7時間遅い。たとえば日本で朝7時「おはよう」の時間に、イタリアでは「日が変わるから寝るか」なんて具合なワケ。

今、日本でもサマータイムを取り入れるかいろいろ議論もあると聞くけど、これが何のためにあるかというと1時間ずれるだけで日照時間が長くなるから、日に当たる時間も長くなって健康の為になるし、一番は省エネに大きく貢献するからとても大切なモノだ。
もっとも日本で1時間くらい変えたって緯度が違うから、また、湿度も違うからなどのいくつかの理由であまり意味がないかもしれないとのこと。かえって働く時間が長くなるだけという意見もあるから、そういう影響をモロに受ける業界にいたボクとしても、それでは賛成できないなと思う。

暖かくなり始めた頃から少しずつ日が長くなってきたとは感じていたけど、こうなって突然、「えっ、もう8時前!?」なんて驚かされる。そう、今の時点でもすでにこれくらいまで明るいのだ。
これが緯度の違いなんだなとあらためて思ったのは、ヨナスたち(今の家のスウェーデン人)と話して、彼らの街ストックホルムでは白夜などが普通のことだと聞いたとき。そんなの想像ができないもんなぁ。

さすがに1日中太陽が出ていると感覚も違うだろうけど、8時頃まで明るいというのはちょっとトクした気分。
時間に余裕をもって活動できる気がするからだ。
夏になると暑すぎてそんなことも言ってられないんだけど。

今回の変更の日、ボクは全然知らなくて、その時たまたま夜出かけていて偶然聞けたから良かった。
次の日の待ち合わせでやっぱり知らなかったヤツがいて、皆の予想通りきっちり1時間後に登場した。
夜中にテレビを付けてみても、ちゃんと時間が変わっている局とそうでないところがあるくらい。結構いい加減だ。
それくらいじゃないとサマータイムなんて導入できないのかもね。

(31/03/'99)

やっぱり今年もサマータイムがやってきて、もう1ヶ月も経つのに未だに、まだ明るいねぇ、なんて言っています。
いつになっても、時間がポンと飛ぶような感覚は簡単に慣れるものではないのかも知れませんね。

2011年5月 ミラノ

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2-17 パスクワ(復活祭)  

またまたフィレンツェにやってきた。
帰ってくるたびにこの街がホントに好きなんだなと思う。
電車で駅に到着するときにクーポラ(ドゥオモ丸屋根)と鐘楼が見えてくると
「ああ、帰ってきた」
と、帰省しているような気分になる。
これは前にも書いたんだっけ。
住んでいたときにはわりとはやく飽きちゃったような気がしていたけど、イタリア語の進歩と共に、また、違う街に住んでいるからいいところが見えてきたのもあるのだろう。

02-17 Pasqua4.jpegスコッピオ・デル・カッロ今回の目的のひとつに「Scoppio del Carro(スコッピオ・デル・カッロ:爆発する山車)」を見ることがあった。
これはフィレンツェ独自のパスクワの行事で、場所はドゥオモ前。
たくさんの花火と爆竹が仕掛けられた山車(形は京都のそれと似ている)にドゥオモの中からロケットのハトが飛んでいき、山車に点火した後、うまくまた戻っていくとその年は豊作という占いの意味がある。

10時からだとか、11時からだとか、12時からだとか、3通りの始まる時間を教えてもらい、「やっぱりイタリアだなぁ」とか思いながら一番有力な情報の10時の線を信じることにした。
本当に始まる時間がわからないまま、朝の7時半には集合して出かけ、すでに場所取りに来ている人が結構いることに驚きながらなかなか良さそうな場所を確保。
まだ眠いのでボーっと、でも朝は結構寒くて日影にいるのは結構つらい。
そんな中でだんだんと人は増え、そしてパレードが始まった。

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最初はP.za d.Repubblica(レップッブリカ広場)からスタートして、4つそれぞれの自分たちの地区に戻っていき、再びドゥオモ前で集合する。山車はChiesa S.Spirito(サント・スピリト教会)からスタートしてやってくる。
ボク達はその到着地点で待ちかまえていたわけだ。
代々受け継がれてきた中世の衣装を身にまとい、物語のなかから抜け出てきたような姿で列をなす。
ふうむ、現代人が着ても顔立ちのせいなのか、なかなかさまになるもんだ。
途中、今年のCarcio Storicoの対戦相手を決める抽選も大切なモノのひとつ。
そのために1人だけちいさな子供がまじっている。

そして、こうしたお祭りには必ずある旗のパフォーマンス。
振り回したり、投げて交換したり、大人数だったり、2人組だったり。
これがなかなかカッコよくて盛り上がる。

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最後に山車が4頭のトスカーナ牛に引かれてやってきた。
いよいよクライマックスの始まりだ!
勢い良すぎるくらいのロケットのハトが飛び出て無事点火。
そしてまたすごい勢いで帰っていった。
その間、わずか数秒。
今年を占う大事なColomba(コロンバ:ハト)なのに一瞬見えるか見えないかのお役目だった。
点火した山車は花火や爆竹が交互に次々と鳴り響き、想像していたよりもかなり長い時間それがつづく。
途中フィレンツェのカラーである、でもかなり健康に悪そうな紫色の煙もあがったりしてなかなか凝った演出になっている。

終わる頃にはすっかり気温もあがり、衣装を着ている人たちはさぞ暑かっただろうが、こうして今年も豊作ということで無事幕を閉じた。
春の到来を感じさせながら。

(04/04/'99 フィレンツェにて)

またまた10年以上が過ぎた昨年の復活祭にこの催しに出かけるチャンスに恵まれたのですが、あんまり余裕を持って出かけなかったせいで、後ろの方から背伸びをしてやっとなんとなく様子が分かる、そんな程度しか見られませんでした。
それでも十分雰囲気を楽しむ事はできたのですけれど。

2011年5月 ミラノ

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2-18 プリマヴェーラ(春)  

02-18 Parco.jpegミラノに来た頃のこの街の印象って
「なんてこの街は雰囲気が暗いんだ!」
そんな感じだった。
だから、前にも書いたように(2-9 だんだんミラノが好きになる)好きに慣れなかったんだと思っていたけど、この頃それが単に冬だったからなのに気が付いた。

街を歩いていると今まで知っていたハズの景色がどんどん表情を変える。
それに気が付いてからというもの、木々の芽吹いていくそのスピードの速さに驚かされる。
生命のいきおいってすごい!
日本にいたときも自分の通り道には植物はあったと思うけれど、こんな風に感じたことはなかった。
これって気持ちのゆとりかな!?

考えてみれば、4月が終わるとミラノでも早5ヶ月。
フィレンツェで過ごした時間と同じで、街になれて自分のペースを取り戻せて来ているのも良くわかる。
最初の頃は珍しさも手伝っていろんなところをまわるのが面白かったけれど、天気のいい休日には公園の芝生の上でごろっと寝転がってみるのもいいものだ。
イタリア語版「キッチン」なんて読んでみたりして。
話を知らなければまだこういうのを読み解く力はないのだけど、知った上でならなんとかついていける。
それでも2~3ページも読むとスグに催眠術にかかってしまうケド。

もう日焼けをはじめる恋人達、カルチョ(サッカー)に興じる少年達、大好きなおじいちゃんと一緒ではしゃぎまわる子供や、子犬を見たとたんに走り出してしまったよちよち歩きのぼうやをおいかけるマンマ。
そういうときは時間もぼんやり流れている。

自分の家でもいつ住んでいた誰が置いていったものなのか、枯れていると思っていた観葉植物が緑の芽を出しているのを見つけた。
よし、やる気があるならボクが水をやる!頑張って復活するのだ!!

(11/04/'99)

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2-19 怒濤の1週間  

02-19 Vit.jpeg4月の第3週、ボクにとってイタリアに来てから1番あわただしい1週間。
いろんな事がつぎつぎに始まって、起こって、重なって。
家に帰って休もうにも夜にもはずせない用事があって出かけることになるし、ただでさえ朝が苦手なのに早起きもしなきゃならないし、とにかくすごかったと表現するしかない。
しかし、これは決してネガティブな事ではなく、とても刺激的で、楽しめて、興味深い出来事と出会いが続いたから。
ちょっとフラフラしながらも、動かずにはいられなかった!

まず、火蓋が切って落とされたのは第2週の金曜日、1本の電話を受けたときから始まった。
次の日の夜に日本から到着予定友人から、
「ごめんごめん、飛行機がすごく遅れて今リナーテ空港にいま着いたんだ。」
とっさに思った。
「明日来るはずの飛行機が遅れて何でもう着いちゃうワケ?」
彼の名誉の為に何が原因だったかはあえて伏せておこう。
本当はその日、家にいる予定ではなかったし、到着の空港もマルペンサ空港で全く違う。
いろんな偶然とともに彼らしい登場でやってきて、久々の再開を喜んだ。

02-19 Edra.jpeg変わった椅子も以外にすわり心地はよくてビックリそして、週明けには2つの大きなイベントが始まった。
ひとつは「Salone Internazionale dei Mobile:サローネ・インテルナツィオナーレ・デル・モービレ(ミラノ国際家具見本市)」('99/04/13~18)、そしてもうひとつは念願の「Stage:ステージ(ヨーロッパにある学生が就職前に短期間仕事の経験をする制度、お金にはならない)」として仕事の経験をできるチャンスをつかんだこと!

前者はボクの本職から見ても興味深くて欠かせないもの。
ミラノにある見本市会場だけでなく、街中のインテリア系店舗で「Fuori Salone:フォーリ・サローネ(サロン会場外)」としていろんな催しをやっていて、建築系をはじめデザイン系の人々が世界中からやってくるとても大きなイベントだ。
規模がでかいせいか、様々なデマも聞いた。
たとえば招待券を持っていないと会場に入れないとか、一般人は最終日の日曜だけとかその他もろもろ。
実際は入場料さえ払えば全部見れるし(Lit 25.000- た、高い!!でも国際学生書など学生であることが証明できれば Lit 15.000-)、1部分は無料のところもある。
見本市会場はとにかくでかいから1日では廻れない。
デザイン、モダン、クラシック家具の他に、キッチン、事務所とイベントとして個人デザイナーのブース(サテリテ Sattelite、ココが無料)などをもうけてある。
個人的に楽しめるのはやっぱりデザイン家具。
学生時代に授業に出てきた椅子を実際に見て全部ではないが座れる感動もある。
だけどトータルで見ると面白いのはほんの1部で後はとても商業的などうでもいいものもたくさんあるなという印象だ。
かえって、個人デザイナー達のブースはいろんな事にチャレンジもしていて良い。
アイデアはいいけど、というモノから商品化されれば欲しいなと思うモノまでいろいろだ。

02-19 Vit2.jpeg街中のFuori Saloneもあなどれない。
これだってやっぱり各店舗が好きにやっていることだから、すばらしいのも退屈なのもいろいろだけど、ボクは家の連中やその他友人の情報を総動員して良さそうなところを選んで行ってみた。
全部は消化できなかったがこれがなかなかあたりで、本当に楽しめた。
その作品だけでなくレイアウトからパンフレット、ポスターにいたるまで気を抜いていない。
なんといっても入場がタダだしね。(笑)

お仕事の方でもたまたまこの Fuori Salone のひとつに関係した。
ドイツの Vitra. と同系列 Vitra Design Museum の展示会で、Museumの方は昨年「椅子の100点」という巡回展が日本にも来ていたから知っている人もいるかもしれない。
「ワタシは椅子フェチだから、当然知っているわよ。」
なんて言っている友達もいたけど、ボクも結構そうだなぁと実感した。

他にもこの仕事の関係や Salone に来ていて知り合ったたくさんの人の中に、建築をやっているイタリア人がいて有名な建築家のセミナーに誘ってもらったり、夜にある様々な Salone がらみのイベントにもいくつか行ってみた。
こうして今までよりいっそうイタリア語漬けの日々。
速いわ知らない事も多いわでそりゃもうボクの CPU の限界はとうに超えていた。
帰れば家に友達がいて日本語でしゃべれることのうれしいことといったら!

こんな風に、新しい体験がたくさんあって、いまこうして思えば忙しいのはボクの頭の中だったわけだ。
もちろんいろいろ動いてもいるんだけど、友達の友達でお互い意志の疎通ができる言語がないまま一緒に Salone に出かけてしまったときの情けないコミュニケーションも、日本人のセミナーにいた通訳がもたついている時に周りのイタリア人が一斉にボクの方を向いてなんと言ってるのかと聞かれる拷問のような時間も、新鮮でファンタスティックな体験だ。
やっぱ、どんどんいろんな事に首をつっこんでみようっと。

(22/04/'99)

ついこの間、今年のサローネも終わったばかり、思えば年々その規模が拡大して、逆に言えばしすぎて、そしてここ数年は残念ながら不況の悪影響を拭えない印象ばかり残ります。
ここに出てくるセミナーをした日本人とは実は SANAA の妹島和世さんだったのですが、当時の彼らの作風にあまり興味を持っていなかった事(今は結構好きなものがあります)と彼女の発言があまりにもアーティストで日本語で聞いていても正直何が言いたいのか…、という状況だった上に、当然イタリア人日本語通訳は何が言いたいのかを彼女に確認する訳で、その間に周りのイタリア人になんて言ってるのかと聞かれるので、大変居心地が悪かったのを覚えています。(笑)
今はプレゼンとても上手になられましたね。
世界を相手にもまれるってすごいんだなぁ…。

2011年5月 ミラノ

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2-20 5月に舞う雪  

02-20 Bar.jpeg4月末までのコースのクラスメートこんなにお天気なのに、こんなにポカポカなのにミラノの街にわた雪が舞っている。
実際にそんな風に見える。
量にしてもその舞う姿もちょっと大きめのわた雪が降るそれとまったく同じようだ。

これの正体はポプラの花の綿毛の部分なんだそうで、春になって時々たゆたっているのは見かけたけど、ある日どっと雪のように舞うことがある。
家の近くに木があるからたまたま今日はそういう日だったようで、近くの公園ではそれほどでもなかった。
この話はフィレンツェでも聞いた。
北の郊外の街、フィエーゾレからやってきてフィレンツェの街に降ってくるそうだ。

きのうはメーデー。やっぱりイタリアでも祝日なんだけど、ちょっと信じられないモノまでお休みだ。
1部を除くすべてのプルマン(メトロ(地下鉄)、トラム(市電)、バスのこと)が機能しないのだ。
メトロなどシャッターまで閉まっていて、本当に動かないんだとビックリする。
街を環状にまわっているものと空港に関する1部だけが動いていて、幸い家の近くに空港関係のバスがあったからまだましだけど、店も午前中に開いているところがちょっとだけあっただけで、後は完璧にお休み。
交通機関は別にメーデーじゃなくてもガンガン「Siopelo:ショーペロ(ストライキ)」やってるくせに!

(02/05/'99)

あれ、この時はふれていませんね。そりゃそうか、初年度な訳だから。
これから数年後、まさにこのポプラの花粉を運ぶ綿雪のような奴らに、これ程悩まされるようになるとはきっとこれを書いた時は想像もしていなかったのだと思います。
そう、このポプラの花粉症も結構多いんですが、この文章を書きながらただいま奮闘中。
今年は鼻水・鼻づまりがなく、楽でしたが、終盤咳に悩まされています。
いい加減終わってくれ!

2011年5月 ミラノ

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